Web連載更新チェックアンテナ

« 多謝 | メイン | 山がゴロゴロ »

喪中

071112.gif
義父が亡くなりました。肺ガンでした。
夏頃に判明して、そこからの数ヶ月間。自分がやれたことなんて全然たいしたことないんですけど、それでもその数ヶ月は、振り返ると1年にも2年にも相当するような、そうかと思えばあっという間の出来事だったような、そんな不思議な数ヶ月でした。まだふわふわと、どこか気持ちが宙に浮いてるような感すらあります。

自分が今、こうしてフリーランスという立場でいられるのって、この義父のおかげが大なんですよね。
自身が「束縛をきらう」という性格だったからだと思うのですが、それがために私がフリーになるとした時も、あえて反対はしないという立場を堅持してくれて、おかげで周囲の皆も強行には反対できなくて。でも、「責任は増すよ」ということはしっかと念押ししてくれたり、その一方で「今はきびしい時期だろうから」と、ことあるごとにウチら家族を夕食に連れていってくれたり…。

義父自身も脱サラ組だったので、自身が苦労したことを踏まえての言葉だったんだと思います。

すごく気を遣ってくれる人でもあり、食事に行った時や実家におじゃました際など、別れ際に右手をあげて「じゃ、どもね」と挨拶してくれるのが常でした。そんな義父なので、いよいよ病状が深刻になってからは、気を遣わせて疲れさせちゃいけないと、なるべく裏方にまわっていたつもりです。それでも居るとわかると気を遣ってくれて、去り際の挨拶もいつも通りで。病室のベッド越しであろうとも、それはいつも通りで。つい2日ほど前に病室を訪れた際も、やっぱりそれはいつも通りで。

誰かが子どもたちを見てなきゃいけなかったので最期をみとることは叶いませんでしたけど、自分にとっては最後の最後まで、義父は義父でした。

今は「束縛をきらうが故の責任の取り方」というものを間近に見たような気もしています。「ああ、立派だったな」と思うところも多いです。家族を抱えながらもフリーな立場をのぞむのであれば、こんだけのことはしなきゃいけないんだな…と。

ただ感傷にひたるだけではなくて、後に残る家族の1人として、そうしたことを考えながら、しばらく喪に服したいと思います。

【 関連記事 】

コメント (4)

Terrorist :

私も6月に母方の祖母を亡くしました。94歳でした。
元気な頃は遊びに行くたび、よく叱られていました。
晩年は寝たきりとなってしまい、また自分自身が社会人になってしまった事もあり、なかなか会えなくなってしまいました。
いま思うと、もう少し遊びに行ったりして、祖母と会話をすれば良かったと思います。
今回の文章は考えさせられるものでした。
ご冥福をお祈りいたします。

川井健史:

こんばんは。川井です。
このたびはご愁傷さまでございました。
いまのきたみさんを支えてこられた方のようで、
さぞ、おつらいことと思います。

わたくしも実の父をすでになくしておりますが、なにやらわけのわからない喪失感に襲われた記憶があります。

ゆっくりとお見送りしてあげてください。

それでは、また。

いずみ:

いつもこちらのページを拝見させて頂いております。

この度は、お悔やみを申し上げます。
お義父様のご冥福をお祈り申し上げます。

rk:

いつも楽しく拝見させていただいてます。

自分も義父を肺がんで亡くしました。正確には式の直前なんで
亡くしたときは義父ではないんですけど。

>ただ感傷にひたるだけではなくて、後に残る家族の1人として
何か心に響く言葉です。時間がある程度悲しみを
解決してくれつつありますが、それに頼らず
妻・義母・ペットを守っていこうと思います。

最後に改めまして、お悔やみを申し上げます。
お義父様のご冥福をお祈り申し上げます。

コメントを投稿

About

2007年11月12日 19:24に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「多謝」です。

次の投稿は「山がゴロゴロ」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

広告

アーカイブ

最近のコメント

最近のトラックバック

フィードを取得

My Yahoo!に追加