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水彩画は考えることが多すぎて頭がしんどくなってくる

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 先週末土曜日はJillaの水彩画教室でした。その宿題である「食べ物の絵の仕上げ」と「装丁画のアイデアスケッチ」におわれて、金曜日はずっとそれにかかりっきり。
 なんとか終わらせはしたものの、特に食べ物の絵に関しては、本来だと「初手から大失敗したので1回練習で描き終えてからまた描き直す」つもりだったのが描き直しまで行う時間がどうしても取れず、不本意な状態での教室参加になってしまいました。

 2箇所ほど大失敗したところがあるのと、描きながら「そうか、こう表現したらいいんだ」と気づけたところがあるけど、それを全体に反映させることもできてない。案の定、先生からいただく講評も耳に痛いものばかり。なんともつらい時間になりました。

 なんせ周りにいるのは「すげえ」と思わず唸る上手い人ばかりなわけです。そういう人たちが納得のいく作品になるまで努力して描いたものを持ち合って先生に見てもらうわけで、そこへ「実力も努力も足りてない」と自覚しながら並んで話を聞くのは本当につらい。

 それにしても水彩画は、考えることが多すぎて脳みそが疲れます。

 全体を見て、どの順番で着色していくか考えて、どこにどの技法を用いるかもあらかじめ図っておいて、絵の具の乾く速度にあわせて適切に色を置き、なおかつそれにあわせて必要な色が必要な時に必要な量だけパレットに用意されてなきゃいけない。その色はあらかじめ用意しておけばいいのかというとそんなことはなくて、絵の具を溶いて作っておいても時間がたてば乾いて変質してしまうし、水の量を多めにして乾かないようにしても顔料が分離してやっぱり色は変わってしまう。水で戻せば水分量に応じて濃度も変わるし、しかも着色時点と乾いた時の色はちがうので、その色の違いを把握しながら塗る必要がある。
 これだけでも自分の頭にはキャパオーバーなのに、上手い人の描いたもの見ると、もうこれが「どこまでこの人情報を処理してこれ描いてるのよ...」と、その単位時間当たりの途方もない計算量に「すごい」と思う前にどっと疲労感が押し寄せてきたりして。

 経験によるノウハウの蓄積で、その中のどれかは自然と自動処理されるようになっていくのでしょうけど、今の自分はすべてを頭で考えて用意して実行して...という段取りを踏まざるを得ない状態です。言わばペダルの踏み方をいちいち目視しながら自転車を漕いでるようなもの。「そりゃ脳みそが疲れるわけだわ」という気持ちと「腐ってやがる...まだ早すぎたんだ」というシーンが頭の中をぐるぐる回ってたりして。

 一足飛びに高度な世界を見せていただくことで、ぐいっと引き上げてもらえてる一方、脳の処理がそこに追いついてないんですよね。それで追いつけないからといって水彩画に対する気持ちを腐らせてしまっては本末転倒なので、教室がひと通り終わったら、もっと単純なモチーフを使ってひとつずつ確認して体に刷り込んで行こうかな...と思い始めています。積み木とかがいいかな。あと、1本の木だけをひたすら描くっていうのもいいな。

 そういえば、自分はずっと美大コンプレックスみたいなものを抱えていて、美大行きたかったなーと思ってた人でした。美大出身の方に「そんないいものでもないよ」と言われても、でもうらやましいよなーと思い続けてました。
 でも、今回はじめて、「美大行かなくて良かった」と思いました。多分、もし美大にまちがって入れてたとしたら、そりゃー今よりはマシな絵が描けるようにはなってたかもしれないですけど、一方で心がへし折られまくって、絵に関わるような場所に居られなくなってたと思う。
 すごい世界にいる人の、たとえば才能であったり努力の果てに培ったであろう手業というのは、観客という立場で眺める以外は、「あそこには行けない」ことを痛感させる、ものすごい猛毒のような気がします。

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2018年1月15日 11:34に投稿されたエントリーのページです。

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