
先日書いた4コマにお寄せいただいたコメントで、「Word、Excelとかの使い方わかりやすく書いた本の予定ないー?」というものがありました。
「初心者な人ほど本を買うお金を出してくれないの法則」があったりするので、なかなか市場的に厳しいよなーというのが過去に結論出てたりするんですが、それで終わっちゃもったいないので、なんとなくつらつらと考えてみる。
高齢者向けに書いたパソコンのイロハ的な本で売れたものが皆無なわけではないので、考える余地はあるはずなんですよね。
まずなにが大事かっていうと、受け身な人でも読んでもらえる作りじゃないといけません。それがなによりの大前提。
自分の中で解説書を「読んでもらう」ための方策としては、本の中の人はバカであるべしという決まりがあります。読者さんと同じ目線より、ちょっとバカなくらいの方が、読んでて安心できるし質問の代弁者たりえるし感情移入しやすいと思うからです。
たとえマンガや可愛いキャラクタなんかを前面に押し出した本であっても、「なんか知らんが本の中の人が勝手に理解してうなずいて次に進んでっちゃう」ような作りだとまるで意味がないと思ってます。むしろ「ああ、私はこんなゆるふわキャラよりもバカなのか」…って絶望を与えるだけになりかねない。
じゃあ、ちょうど今扱ってるキノコとドングリのキャラをそこに適用して…と考えてちょっと待った。
より感情移入してもらうためには、わざわざ架空の世界のキャラを出しても混乱を招くだけだよなぁと。んではここはずばりターゲットに据える年齢層の方をよりユーモラスにしたキャラを持ってきてはいいんではないか。
たとえば『ちびまる子ちゃん』の友蔵じーさんであるとか、『あたしんち』のママさんであるとか。あのあたり的なキャラ。
でも、勉強しなきゃいけない。理解しなきゃいけないと思わせたらまだ魚は逃げちゃいます。
そこで、徹底的に4コマを並べる。4コマでとにかく徹底的に「私でもそれはないわ」という失敗を繰り広げてもらう。マウスならマウスに関する失敗。ファイルならファイルに関する失敗。ちょっとレベルは散らしておいて、中には「あ、この失敗はやった」ってのも混ぜ込んでおく。
それを散々繰り返させて、「私でもそれはないっていうのはわかるけど、正しい使い方ってのはじゃあどんななのかねぇ」と疑問を抱かせたところでズビバシッと見開き解説。
でも、作中のじーちゃんたちは相変わらず?マークのまんまでボケて終了。みたいなの。
「一操作一解説で、ソフトのバージョン変わったら覚え直し」という勉強は嫌いなので、これでとにかく操作の意味を知ってもらって、基礎を学ぶための本。
あ、じーちゃんたちのキャラを何種類も作って、とにかく絶望感漂うパソコン教室にしちゃうのもいいな。先生胃薬が絶えなくて大変ねーとか言っちゃってんの。じーちゃんたちの失敗を責めると殺伐としちゃうから、責められるのは先生の側にして「ほんとアンタの説明はいつもわけわからん」って泣かされることにしよう。
うんうん。
と書き連ねていったら「ちょっとおもしろそう」とか思ってきたんだけど、そもそも今抱えてる本の仕事が向こう2年間は消化できなさそうな気配で暗雲たれ込めまくってる現状に気づいてちょっと涙がにじんてみたり。
そういや「ブ、ブラック企業じゃないよ、この話はフィクションだよ!」って繰り返すのがお約束な4コマ漫画連載ってのも「ちょっと保留」で寝かせたまんまだったなぁ。

Twitterでブチブチつぶやいてたらふと思ったことがあったんで書いてみる。
イラストの通りなんですが、フリーランスしてますと言うと「自己管理できてエライ」的なことを良く言われます。自分は誰かが見張っててくれないと怠けて仕事できないので、自宅でそうならずに仕事できるアナタはエライとかそんな感じ。フリーランスいいなーって思うけど、そう考えたらできないのよねなんて感じ。
逆に言うと、自分には「サラリーマンであるがためにやらなきゃいけない自己管理」ができないというか壊滅的にやりたくない人なので、それを常日頃やっているアナタ方の方がよほど偉いですよと思います。
「ルールとして決まってるからそうなんだよ」という声に無条件に従わなくてはならなかったり。
「なんでこの人がしたり顔でオレの将来語ってんだろ」と思う声を飲み込まなくちゃなんなかったり。
「体調管理や自己管理のためにまず許可を得る」ことを当然としなきゃいけなかったり。
あと家族と会社との板挟みになったりとかね。
家族の急変に対してまず取るべき行動が「上司からの許可をもらうこと」になっちゃうあたりも、もうなんつーかダメなところ。当然とは思うんだけど、「調整」ではなく「許可」であるあたりが、自然とは思えない自分がある。
なんだろう、自分のことを自分で決められないのがすごくイヤ。
だから、そのあたりの「サラリーマンであるための自己管理」をこなしてる人の方がよほど「偉い」と毎度思っちゃうのです。
これは皮肉とか言い換えとかでなくて、実際のとこ、そのあたりを難なくこなしてるサラリーマンの方を見ると「大人だなー」と思いますもんね。冠婚葬祭関係でも経験値が違ってくるので、よけいに「大人だなー、かっちょいい」なんて思ったりもします。
と書いてると、つまり自分は子どもでいたいからサラリーマンができないわけか?
そういやサラリーマン時代はくどいほど「大人になれよ」と言われたことを思い出した。ああ、なんか妙に納得した。

先日「どうしよっかなー」と悩んでた仕事の話。けっきょく受けることに決めたんですが、それと前後して色々生じるもろもろの、タイミングの良さにちょっと驚いてるというか、感心しています。
もともと強運頼みでここまで食いつないできてる身なので、「運の流れ」というのはけっこう信じる方です。「波が来てる」とか、「流れが来てる」とか、そういう時はなるべく身を任せて逆らわないようにして、その逆に「よろしくないな」という感触が支配してる時は、とにかく短気を起こさず焦る気持ちを抑えつつ踏みとどまることに専念するのが信条です。
ある程度は流れに身をゆだねつつ、その奔流の中を少しずつ自分の行きたい方へ舵取りすることで前に進むのが一番というんですかね。流れ任せということもなく、流れ無視ということもなく、とそんな感じ。
で、ここんとこの様子を見てると、どう考えても「その仕事に専念しなさい」的な流れになっちゃってるのです。もろもろの仕事にそれぞれの事情があって、それをベストと思う形で対策うっていくと自然とそうなるというか。
その結果が吉なのかどうかは定かではありませんが、「ああ、こっちに行けと言ってんだな」という流れに身をゆだねること自体はおもしろくて好きだったりします。
今回の川は、どこに流れつくのかなあ。

今月に入ってから、すっかり更新が滞っちゃってて申し訳ありません。前回の更新後、今日までの間には、通常の仕事に加えてダンボール2箱分のネットワーク用語集本にサインしたりしてました。
こちら、どうも関西の書店さんに置いてもらえるようなのです。詳しい書店名等わかりましたら、また告知させていただきますので、よろしくお願いしますなのです。
と、それはさておき。
昨日のこと、懇意にしていただいてる会社の方にさそわれて、東京近辺でちょろっとお酒を飲んでまいりました。
その席上で、少々まとまった規模の仕事が依頼できないかという話になりまして。スケジュール的にやれるかどうかもあるし、能力的にやれるかどうかもあるしで、これがなかなか悩ましい話でして。
ああ、どうしようと今日になっても悩んでたりします。
最近は、すっかり「新しい取引先探し」も止めにして、既知の、懇意にしていただいてる会社さん相手にもっと義理を果たしていかねばと思うようになっています。自分は仕事のペースが遅いので、それを回すだけでもヒーヒー状態のはずなので。
さらには、そうした会社さんたちのおかげで今食えるようになっているので、その分を返していかねばという思いもあったりします。自分の力なんて知れたもんなわけですが、望んでもらえるなら応えねばと。お世話になってる会社さんに対しては、自分の方でも「支える意識」を持たねばなーと思うようになっているのです。
んが、今回の話はあまりに荷が勝ちすぎているような。
聞けば、社内の規則とかやり方とか前例とか慣例とか、そんなもん全部すっとばしてかなり会社として力を入れ込んでくださる話のようでした。
今のこのご時世で「ここが力の入れどころ」と自分に白羽の矢を立ててもらえたことはすんごくありがたいんですが、正直「やれるかなー」とビビル気持ちの方がでかかったり。ならサクっと「ごめんなさい」すればいい話なんだけど、先に述べた気持ちがあるのでそれもなかなか難しかったり。
うーん。ううーん。悩ましい。
別件の仕事のプロットを練るべく、明日から千葉県内でソロキャンプして、1人じっくり考えるつもりだったんですが…。
どうもこっちの仕事の瞑想にふける方向となりそうです。

先週末から今週にかけてなんだかやたらめったら作業が集中して、気がつけば「徹夜しないとどうにもならん」状態になり、しかもそれが2日続いて、ほぼ燃え尽きて朽ち果ててます。
30半ばを過ぎてこんなことしてると、体力の回復がマジメに追いつかないのでマジで自省したい。仕事を減らす度胸を持とう、えいえいおー。
と、そんなくたびれた身体でですね、久々に余裕のあるスケジュールになってる今を謳歌しようと、近所に新しくできたラーメン屋さんに昼飯を食べにいったんです。どんな味かなーって。
着いてみると、真新しい建物と真新しい設備。ほんと、どれもこれも新品ピカピカで、「この城でもってワタクシ今後一生懸命がんばっていくのであります」というのがにじみ出ていました。
店主のおすすめらしきラーメンを注文して、カウンターに座り、目の前のメニューをなんとなしに眺めてみて。
ふと目に入ったのが営業時間。
開店が11:00で閉店が24:00。定休日は毎週月曜日の17:00以降とあります。
顔をあげると、カウンターの向こう側でいそいそと働いてるのは、店主らしき男性と、その母親らしき女性の2人だけ。
…仕込みと片付けを考えたら、この人たちはいったい何時休むんだろう。
と同時に、「そうだよなぁ」とも思いました。
個人事業主にとって、仕事はすなわち人生の保証であり、あまりに深く人生そのものと同化しちゃってるので、いつからいつまでと簡単に切り離せるもんではないし、やらされるものではなくやるものだから、労基法がどうだこうだとかとまったく無縁の世界にいるんですよね。実にシンプル。自分が必要と思うか思わないかでやるやらないが決まるだけ。
自分の2日連続徹夜にしてもそうだし、この人たちの営業時間にしてもそうなんだろうなーと思うと、妙に仲間意識が芽生えたりなんかして。
なんとなく人間くさい営みな気がして、やっぱ「個人事業主はいいなー」などと思ったのでした。

先月末から今日にかけては、改訂版の追い込みと文庫化の追い込みと確定申告のための帳簿整理と新連載検討のために媒体問わず人に会ったりというのが連載仕事と並行して走って、なんか色々ぐるんぐるんと目まぐるしい毎日でした。
とりあえず改訂版も文庫化もあとは書店に並ぶのを待つだけだし(…といいつつ販促絡みで残作業あるけど)、確定申告も終わったし、ひと通りお声がけいただいた媒体関係者には全部会ってお話済んだしでひと段落。
残念ながら新連載絡みの話はほとんどすべてお流れとなりそうで、それ自体は「媒体の個性」と「自分の個性」が噛み合わなかった結果なのでなんということもないんですが、その過程で「じゃあ自分の個性が生き残れる市場がどこかにあるのか?」とか、そもそも「自分の個性ってなんだよ」というあたりで頭の中がぐるんぐるんと。
けっきょくんとこ、色んな意味で力量不足なわけですよ。
じゃあその不足分を今後いかにして補っていくかと考えてまたぐるんぐるん。

ちょい前の日記に「きたみさんも先生って呼ばれるの?」とコメントがあったので、それについて思うことを書いてみる。
まず結論から言うと、「先生」と呼ばれることもあります。というか、初対面の方からはそう呼ばれることが、かなり増えました。
前はいちいち「先生はやめてください」とか言ってたんですけど、それも嫌味かと思うようになってきたので、最近は初対面の時はなんも言わないようにして、2回目以降お会いした時にまだ「先生」とか言うようなら「やめてください」とお願いするようにしています。
先生って言葉はキケンなんですよね。「いやいやそんなたいしたもんではないですから」と思いつつも、ずっと先生先生言われてると、なんか偉くなったような錯覚が芽生えちゃうものです。ほんとは対等な間柄のはずなのに、自分の方が偉いような錯覚も起こしかねなかったりして。
それらすべてを制御できるほどデキた人間ではないもんですから、継続してお付き合いのある方には、ほぼ100%「先生」という敬称付けはやめてもらってます。
ちなみに、自分がお付き合いのある士業の人…たとえば税理士さんとか会計士さんとかについてもこれは同様で、できる限り「先生」という敬称ではなく、「さん」付けでお呼びするようにしています。相手が嫌がらなければ…ですけど。もちろん同業の人相手にも以下同文です。この場合はことわりすら入れることなく「さん」付けがデフォルトです。
お世話になってる税理士さんに「先生って呼んだ方がいいですか?」と最初に伺った時、返ってきたのは「いえ、キタミさんは私のお客さんなんだから、先生なんてつける必要はないですよ」でした。これがやっぱり普通の感覚だと思います。だから、読者さんや編集さん、書店員さんにお会いした時に、先方が私に対して「先生」とつけるのは、あまり自然なことではないよなぁというのが正直な気持ちです。だって、その関係だとお礼を言う立場はほぼこっちなんだもの。
ちなみに、件の税理士さんとは、その後イラストに書いてるようなやり取りがありました。
曰く「先生という言葉は便利なんですよ」と。
「先生」と言われて怒る人はまずいないんですね。だから「先生と付けた方がいいかどうか微妙」という方相手の場合は、まず付けておくようにすると無難だとなる。自分に先生と付ける場合はまずこのケースだと思います。
そしてさらに、「先生」って言葉は、それ単体で呼び名にもなる便利なやつなんですよ。だから士業の集まりとかに行くとあっちもこっちも「先生」なので、いっさい名前を覚えなくても「先生」「先生」と呼んでりゃそれで全部済んじゃったりする。
そんな話をしてると、「先生」って言葉はまことにバカバカしい言葉だなぁという話になったりするんですが、たいてい最後は「だから学校の先生なんかはヤバいよね」という話に落ち着きます。
たいした社会人経験を積むこともなく、いきなり「先生」「先生」と言われる立場につくんですもん。怖いですよね。

仕事柄、なるべくマンガは読んどかんといかんよなという思いがあり、週刊サンデーや週刊マガジン、チャンピオン、月刊マガジン等は読むようにしています。
そんなわけで、「金色のガッシュ!!」は欠かさず読んでたマンガのひとつなのですが、その作者さんが小学館を訴えたと聞いてびっくり。内容を見ればなかなかエグイ話が書いてあるわけですけど、これに絡んで、他の方面でも暴露話が出はじめてたりして、「なんだこれはどうなっていくのだこれは」という様相を呈しています。
単なる傍観者の1人としては、「おっきな金とおっきな夢が動くところは諍いごとのレベルもでかくて実に怖い」などと思ったりしながら事のなりゆきを見ていたり。
「仕事」ではなくて、「創作活動」に携わる人は大変だなぁと思います。
というのも、けっきょくもとをたどっていけば、「創作」とか「夢」とかいう甘い言葉のせいで、歪んだ構造が是とされてきたからこうなっちゃってるんじゃなかろうか…と思うから。
「創作」「夢」「好きな仕事」って言葉は便利なんですよね。ある特定の人にとってはね。
とある版元さんの社長さんは、「イラストの仕事なんかは1点500円で書かせりゃいい」とかのたまうんですね。曰く「それで書きたがる奴なんか、ネットを探せばいくらでも転がっているから」だと。
普通の相場から見たら、1/5~1/20くらいの単価になると思います。でも「いる」んだと。まぁ…ねぇ。

先月は、自分にしては珍しく、各社の編集さんとかライターさんとか、企画会社の社長さんとかと会って話してしまくった1ヶ月でした。
出版という事業の先行きに対しては皆さん思うところ様々ですが、新規参入組に対しては「計算のたつ何かがないと難しい」という見解で一致しているような気がします。「編集さん」という名の椅子取りゲームも、明らかに椅子の数が減りまくってるようにも思えるし、実に世知辛い。
自分の場合、突出した才能というのがナッシングなので、「これ」という決まったカタチを持たないんですよね。
そのことが、今は逆に功を奏してくれてるのかなと思います。怖い場所にいるなぁという薄ら寒さは、つねに背中にべったりくっついてますけども。

で、話は回想から現在の自分へと戻るわけです。
久しぶりにタイタニックを見終わった私は、「ああ、やっぱいい映画だなぁ」と余韻にひたって、ふと不思議になったんです。いい映画だし、ジーン…としたんだけど、単にこれを悲恋物語として見てる自分がいるんですね。10年前の時とは明らかに見方が変わってる。
あれ、なんでだろう。年食ったせいかな。
そう思って、10年前を振り返って、そうかと得心がいったのは、「今の自分はかつての自分よりずいぶんマシな自分になることができた」ということなんだろうと思い至った時でした。
今の自分には、鎖なんてかけらほども見えないんですね。何も縛るものなんてないんです。
家族が増えて、背負うものは大きく重くなったけど、それは間違いなく自らがのぞんだものだし、背負っていられる自分が誇らしいと思えるし。
「ああ、あの時から今に至る10年の間で、ずいぶんと正直に生きられるようになったんだな」
もう、主役のデュカプリオくんを見ても、うらやましいとも憧れるとも思いませんでした。
10年前の自分は、その後も色々と紆余曲折があって、さらに3年ほどは鬱々と悩み苦しみ、色んなものに縛られていたと思います。
「でも、それを越えたら1個ずつ鎖は消えていくから。んでもって、その時鬱々と悩んで悩んでしてきたことは、ひとつたりとも無駄になってはいないから」
記憶の中にいる10年前の自分に対して、そんな言葉をおくりたくなりました。で、そう思える今の自分が、少し嬉しくも思えました。
正直まだ将来をながめると背スジが凍ることは多いんですけどね。それでも、窒息死しかけてるよりかはなんぼかマシですわね。
…ということを、タイタニックを見てつらつらと思ってしまったのでした。
そのうちBD版を買っておいて、10年後にまた見よう。うん。で、その時映画の中の人たちに負けないくらい一生懸命生きてきたぞと思えることを、こっから10年先への目標にしよう。
とも思いました。
ちなみに、この話を後の方で見てたカミさんに言おうとしたところ、「アンタその話、10年前もさんざん聞いたよ」と一蹴されてしまいました。
ああ、そうね、あん時もいっしょに見てたもんね。
よほど10年前の私は、映画を見た後うるさかったみたいです。

10年前といえば、プライベートでは結婚した後で、会社の方ではわけのわからん配置転換をくらった後のことでした。
なんか開発部から営業部に強制配置換えをくらって、しかも「営業は素人でしょ?」と降格処分されちゃってた。来年度の給与が下がるのイヤだったら、今から来期までの間で結果を出せとか言われてた。
で、営業部に行ったら暗礁に乗り上げてた自社開発プロジェクトがあって、なんかしらんが「助かった」とか言われてその火消し役を仰せつかって…。
このへんの話は拙著『新卒はツラいよ!』に詳しいです。マンガなんでさらりと書いちゃってますけども、それくらいの方が胃もたれしなくていいと思う。
この時期はけっこう忙しく働いてたんだけど、一番つらかったのは「この働きは誰も幸せにしない」ということにうすら気づいていたことかもしれません。家族からは「なんでアンタがそんなことしなきゃ(そこまで働かなきゃ)いけないの」と苦情が出るだけだったし、会社からのぞまれてたことなんかどれもこれも対処療法でしかなかったので、そんなん片付けても上層部が幸せになるだけで周囲の誰も幸せにならないし。
そもそも「こっち側に来い」的なトーンの話ばっかだったしなぁ。ダースベーダーかっつうのな。
ようするに、自分が頑張ったとこで誰も幸せにならん。むしろなんか知らんが責められてる。
なんだそれは、それは俺が悪いのか?
みたいな状況だった。
みんなが自分に「こうあって欲しい」と願うんだけど、それは全部バラバラで両立不能なことばっかりで、そもそも自分自身がそのどれにもなりたくないと願ってた。
でも、根っこではわかってたんですよね。
本当は自分がぜんぶ悪かったんです。「オレはこうなりたいんだ!」と主張して、説得して、周囲の誰もがその思いに納得するような頑張りを見せて、ってことをしてこなかった。本当は美大とか美術方面の学校に進んで勉強してみたい気持ちがあったくせして、「就職口がないだろうし、どうせ皆すごく反対するだろうから」と勝手にあきらめて最初から無難な選択ばかりしてきてた。
常に「それが現実的な路線だから」が合い言葉。
そんなだから、他の人が他の人なりの思惑をのせてきちゃうんですよ。
その結果、自分の行動を制限する鎖ばかりが増えてったんですよね。
それでなんか息苦しくて、窒息しかけてて。そもそも会社に寝泊まりして夜中に叫びながら目を覚ましてたりした時期でもあるしで、もう金魚でいえばパクパク水面にあがってきてる状態ですよ。
映画館でタイタニックを見たのは、ちょうどそんな時でした。
そりゃ「画家を目指して一生懸命な主人公」なんだもの、応援しちゃいますよ。自分がなりたくてなれない像がそこにあるんだもん。気持ち入りまくりですよ。
ちなみに当時やってたサイトの方で、これと近い時期に勢いで描いて「ああ、心安まるなぁ」と思ってた4コマまんががコレ(「そんなこんなの日々 第22話」)だったりします。
病んでるよなぁ。

先週末ふとテレビを見たらタイタニックがやっていて、「おお、HD画質はさすがに綺麗だな、本気でブルーレイ欲しくなるな、ってことはプレステ3か、プレステ3なのか?」なんてことを考えながら見ハマってしまいました。
タイタニックっつーと言うまでもない、1997年に公開されたアカデミー賞とった名作映画でありますな。主役のデュカプリオくんが画家志望の貧乏な若者で~、それが貴族階級のおなごとやがて沈みゆく船の中で知り合って~…という映画です。
その日やってたのは前編だったので、途中でぶちっと終わっちゃうんですね。「明日に続く」なんて感じで。
見ハマった状態で明日まで待てるわきゃないだろってんで、自宅にあったタイタニックのDVDを引っ張り出してきてそのまま最後まで見てしまいました。
これ、10年前のロードショー時にも、映画館で見たんですよ。
そんで、すんげえ泣きまくったの。悲しいとかそんなんじゃなくて、いやそれもあるんだけど、自分のふがいなさとか、色んなものが感情移入しまくっちゃって、ドダダー…と。
スクリーンの中で画家を目指して前だけを見て一生懸命な主人公は、まさになりたかった自分で、でも映画館の席に座ってるのはそうなれなかった自分で、スクリーンの中のなりたかった自分は懸命に生きて生きて死んでいって、なんで死んじゃうんだよー、なんでお前が死んじゃうんだよーって。
泣いたなぁ。
泣きまくったなぁ。
色々と行き詰まってて、それこそ自分がゴミクズカスに思うことも多い時期だったんで、余計にくるものがあったんだろうなぁ。
なんて書いてたら長くなっちゃったんで、詳しい話はまた次回。

昨年合併が発表されてはいましたけども、アスキーの合併話。吸収合併話だということで、アスキーが消滅会社になってしまうんだとか。
…>「新社名は「アスキー・メディアワークス」 - アスキーは消滅会社に」@マイコミジャーナル
連載を持たせていただいて久しいので、合併話自体は当然聞いていたのですが、「アスキー消えるのかぁ」と思うと、8ビット御三家時代からPC業界を眺めていた身としては、いくらか思うところがありますね、やっぱりね。
そういえば、実はバイク4コマ連載をさせていただいてたネコ・パブリッシングの方でも、2輪部門はバイクブロスとの共同出資会社であるネコ・ブロスモーターサイクルというところに分社化されちゃいました。昨年末あたりにいきなりそうなってドタバタしてた。
他にも、自分と関わりのないところではありますけど、年初から出版社の倒産話が相次いでるし、どうにも業界再編成というか、いよいよ焼け野原化がはじまっちゃったのかなぁ…なんて怖いことを思わずにはいれません。もともと人に関しては流動性に富みまくりな業界でしたけど、会社までがそうなってきたんかいと。
幸い、良い担当者さんたちに恵まれたおかげで、ドカンと直撃をくらったことはないですが、やはり身近で再編成がおきるとバタバタ慌ただしくはなるものです。
なんかこう、ヒシヒシと迫る怖さがありますね。ほんとにね。
そんなこんなに関係してか、私の身の回りについても、ただいま鋭意再編成中だったりいたします。
まず前述のネコ・ブロスモーターサイクルでやらせていただいてる「きたみりゅうじのブルルンバイク日記」という連載。こちらは今月で最終回を迎えました。
最後の記念にコメントをつけられるようにしてありますので、感想とかご意見とか、はたまた「今度はこんな連載してくれーやー」という声とか、色々書き込んでやっていただけますと幸いです。ありがたく今後の参考にさせていただきます。
続いて、本日新しいのがアップされた「Dr.きたみりゅうじの"IT業界の勘違い"クリニック」について。こちらは、これまで月2回更新でやっていたのですが、来月以降は月1回更新ということになります。担当者さんにわがままを聞いてもらいました。ごめんなさい。
他にも再編成の波にさらされる連載があるんですけど、それはもうちょい先の話だから置いといて。4月になるとSEさん向けの新連載が、とあるサイトにてはじまります。あと、オープンカーを題材にした連載話もいっこあるのですが、これはまだ報告できる段階に至らず。むぅ、残念。
そんな感じで、あっちもこっちもバタバタと。
フリーになってからは、どんだけ複数のラインを並行させて仕事を受けられるかが命綱だ…なんてどっかで聞きかじった知識をもとに実践してきたつもりですが…。
最近ホント、その怖さが身に染みます。

たまにはつらつらと思ったこと書いてくのもいいかなぁと思ったので、先日のに引き続いて、またまた思ったことを書いてみる。
前に転職した時にですね、「ああ、この職場はぬるいなぁ」と思ったことがあったんですね。こんな仕事のやり方じゃいかんだろと思っちゃった。
でも、その前の職場で「あれがクビになったって、それは身から出た錆だから仕方ない」とか、「使えないもんは使えないんだから仕方ない」とか、24~5才の若造が相手の生活を思いやることもなく、ただ自分とこのプロジェクト(と、そのメンツ)を守ることだけに専念してトゲトゲしてたわけですね。その結果、色んな引き金をひいちゃってたわけで。
んで、その後転職する過程で「なんかオレ、どっか壊れてんじゃないか?」と思う節があり、それを矯正しながら転職先にたどり着きましたよと。上記の「ぬるいなぁ」と思ったのは、そんな時のことでした。
そんでね、思ったのがね、「やり方が間違ってるといったって、それを直すようにし向けるのか?」ってことだったんすよね。答えはNoだったんすよね。
自分のやり方が正しいかなんて判定できるもんではないし、そもそも今のぬるい環境でしか生きられない人にしたら、それは生活の場を奪うことに直結するわけだし。他で生きることもできると平気で思える自分なんかがそれをやるのは、ものすっごいエゴでしかないんじゃないのかな…と思ったのです。
言ってみりゃ外来魚が地の魚を食い散らかすのに等しいわけで。
そんなことを当時の元先パイとかに言った日には、「んなこと言ってたらなにもできないじゃん」と叱咤されたもんでした。実際まぁ、そうなんですよね。転職して誰かの作った会社ってハコに入れてもらう限りは、多かれ少なかれ絶対出てくる問題なんです。
今は、自分がその会社を社員含めてまるごと背負い込むくらいの心づもりがあるんだったら、多少わがままに生きてみてもいいのかな…とは思います。ただ、もともとプライベートでもこうした「オレはまぁそこまで欲しいわけでないし、と手を引く」ような性質なもんで、なかなかね。
たまにベンチャー企業の社長さんとお話とかして、そのバイタリティはすごいなぁと思いつつもなじめないものを感じたりするのは、そういう性質的な違いに端を発するものが多いです。自分の正しさを疑わないというか、自分についてきた奴は絶対得させてみせるんだと自分で信じられるというか。
今の自分が、「絶対他人には渡しません」って我をはるのって、家族くらいのもんかなぁ。
で、仕事の話に戻るんですけども。
仕事って、別に「好きだからやる」わけでもないし「嫌いだからやらない」わけでもないと思うのです。部活じゃないんだから…って思っちゃう。好きだ嫌いだで仕事を選べる人は幸せだと思いますけど、世の中「こんな悪いことしてたらいつかバレるよ捕まるよっていつも言い合ってた」なんて言いながら自らの手で肉の偽装とかしつづけて、いざ社長がそれでつかまったら「ほらやっぱり、社長は私らの生活をどう補償してくれるんだ」なんてほざくような働き手がわんさといる社会ですもの。
そうした社会のエゴと自分のエゴとの釣り合いを、どう取るか、それが取れる職場か…ってのが一番で、その釣り合いを取るためにお金とか人とか色んなものがあって、「好き」はそのひとつでしかないんじゃないかなぁ…とですね。思うんですね。
自分がサラリーマン辞めた理由のひとつには、そんなこともあったりします。

お気に入りサイトの島国大和さんとこで、こんな話が。
…>甘いものは別腹 :好きを仕事にする話
以前島国さんとお会いして飲んだ時に、「ああ、この人は本当に自分の仕事が好きなんだなぁ」という印象を受けたものです。それってめっちゃ幸せなことだよなぁとも思いました。
自分自身はどうかというと、「仕事」って時点で好きじゃありません。生まれながらのナマケモノ体質キマグレ気質なので、これはもうどうしようもない。自分にとって仕事ってのはあくまでも「やんなきゃいけないもの」なので、「やれるか・やれないか」「続けられるか・続けられないか」が評価の一番に来て、好きか嫌いかって考えるたぐいのもんじゃないんですよね。
今の仕事に就いてからは「好きなことを仕事にできてよかったね」と頻繁に言われるんですけども、このセリフにだって、実のところものすごく違和感を覚えてたりもいたします。好きか嫌いかで言ったら、その時々で興味のあることを、時間も気にせずとことんハマり続けるのが好きなんだもの。「仕事」というのは自分にとってその妨げとなる場合がほとんどだから、好きとかいう次元のものじゃないんですよね…。
あ、誤解のないように言っておきますけども、絵を描くのも文を書くのもコードを書くのも全部好きですよ。ただ、その好きは自分の場合「仕事」にあてはめるものではない…というだけのことです。
で、まぁそんなことはいいんです。仕事が好きな人は輝いててすばらしいなと思うし、仕事がキライでも折り合いつけてがんばってる人は美しいなと思うし、仕事がどうにも我慢できなくなってリタイヤしてリハビリ中な人は愛すべき人だなと思うしで、みんなそれぞれ仕事と色んな向き合い方があってそれぞれの道を選ぶだけの話なのでそれはどうでもいいんです。
とりあえず「好きなことを仕事にしてんだからたいていのことは我慢すべきだろ」といって、ウブい人たちをだまくらかして搾取する人たちはやられてしまえと。ほら、趣味って無償でやるもんじゃないですか。むしろ金払ってでもやるもんなわけで。
あれを仕事にあてはめて口八丁手八丁で他人をタダ働きさせようとするゴミクズのような大人にだけはなっちゃいかんと思うのでありました。ということを書きたかった。まる。
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