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つらつらと思うこと

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 消費税が8%に上がったあたりから、この手の調査書が時折届くようになりました。「消費税が上がったわけですけども、それを商品価格に反映させることができなくて困ってないですか?」「そのように圧力をかけてくるクライアントに困らされていないですか?」「もし圧力をかけてくる会社があれば教えてください」という内容です。

 記入例を見ると、チクられる対象の会社・業種が出版社になっていてちょっと笑えます。そういう会社が多い業界なのかなーと一瞬思って、いやよく考えたら自分が文筆業として税務申告してるからだなと思い直したり。でも送付先の業種ごとにわざわざフォーマット変えて出すかなあ。他の業種で同様の封書が届いた人に聞いてみたいところです。

 結論から言うと、今現在自分がそういうことに困らされていることはないので、どの設問にも「ありません」と答えておしまい。でも、「自分は被害にあってない」だけであって心当たりはあります。当事者じゃないから書かないですけども。

 具体的に言うと、調査書の中にはっきりと「個人事業主だから払わない、免税事業者だから払わないといって消費税の支払いを拒否されていませんか」と問う設問があるわけです。めっちゃ心当たりがあります。

 消費税というのはそもそも「差額を納める」制度です。仮に売り上げが1,000万以下の免税事業者であっても、支払った消費税と受け取った(預かった)消費税の差額を納めることを免除されるだけであって、支払い自体は行っています。ここで言う支払いとは、仕入れとか外注さんに支払ったお金とかそういうの。ちなみに支払いの方が大きくて消費税の差額がマイナスだった場合は還付を受けることが(あらかじめ手続してれば)可能です。
 だから請求自体は行ってよくて、その先でプラスの差額が発生するかどうかとか、その納付が免除されるかどうかなんて支払元の知ったこっちゃありません。越権行為というやつです。

 しかも例えば消費税をもらわないでいたら支払った消費税の方が多くなってマイナスだから還付申告が受けられるのかといえば、そうはならないんですよね。自分は受け取ってないと思っても、商取引上消費税は絶対くっついてくるものなので、受け取ってないと言い張ったって受け取ったことになっちゃう(単に値引きしただけで消費税は受け取ったと見なされる)。
 要するに、消費税という言葉を便利に使って、そのパーセンテージにあたる値引きを強要されただけでしかないのです。
 ついでにゲスい勘ぐりをしてみると、こっちが「受け取ったと見なされる」わけだから、支払元の会社さんは「支払ったと見なされる」はずなんですよね。ということは、こちらへの支払総額を低く抑えた上に、消費税を払ってないけど払ったことにできちゃう分、納める消費税額もそれだけ減額できるし万々歳ってことになるんではないのかなと...。

 そこで思い出されるのが、先の「心当たりがある」会社の方との会話です。

 「ウチの会社はそういうルールなんです」

 会社のルールが法律よりも優先されることはないわけですが、このセリフに含まれる違法性をどこまで自覚しているだろうか...と思わずにはいられません。組織の中にいると、「会社がそう言ってる」「ウチの会社が違法なことをしてるわけがない」「だからこれは間違ってない」って論法になりがちなんですよね。

 税務署の調査書類がはっきりとそういう言い分の業者を狙い撃ちしている以上、先の会社のように「個人事業主には消費税を払わない」「免税事業者には消費税を払わない」としている会社には、いずれ何らかの指導が入ることになるような気がしています。可能ならその前に、自浄努力で是正されてればいいけどなあ...などと思うのでした。

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 よーし選挙がはじまるぞー!...となってから、仕事場のポストにこんな感じのビラがぽんぽこりんと入ってくるようになりました。正直いちいち見ないんだけど、でっかく書いてあるスローガンだけは自然と目に入ります。だいたいどれも「安倍政権打倒!」とか「安倍政権にさよならを!」とか書いてある。
 ぱらりと開いて見れば、紙面からは「安倍憎し」がふつふつと伝わってきます。

 でも不思議なんですよね。これを見て「そうだ!」って思う人は、そもそもビラを見る前からそういう投票行動に出ると思うんです。一方でそう思わない人だと、「打倒!」って言われても何にも心に響かないだろうなと。だって「あいつムカつくから懲らしめてやろうぜ」ってやつでしょこの文言。正直友達に言われても辟易とする言葉なのに、見ず知らずの人にそんな言葉で呼びかけられて「そうだ!」って響いたりするかなあ。しないでしょ。

 とするとこれは何を狙ったビラなのかなと。

 それが本気でわからない。

 本気で打倒するつもりだったら、今の支持基盤以外にこそ「確かに!そうだね!」って目を見開いてもらえるスローガンを掲げないと票数増えないと思うんです。選挙参謀なんかもいるんだろうから、こんな素人の浅知恵なんて百も承知のはず。でも全然そっちを向いてるように思えない。ということは、それ以上にこういう行動をする理由があるってことなんでしょうけど...それが本気でわかりません。

 そんなわけで、特に大きな感慨もなく、「不思議だなあ」と思いながら選挙の様子を眺めています。

 みんな投票行きましょうね。

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「巨峰じゃなくて巨峯かなー」ぐらいの気持ちで調べはじめたんですけど、完全に「巨峰:高い山の頂」って意味自体が出てこなくなってて驚きました。
二大巨峰という言葉自体はまだあちこちで使われてるっぽいんですけどね。

なんで消えちゃったんだろう、巨峰。

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ブログを書く理由というと、「絵や文章の練習(なのでまんがの仕事やる直前は一時的に4コマが増えたりする)」とか「1回やった設定や工作の仕方をメモしておく(配線図残すの超重要)」とか「子どもの成長記録(意外と見返したら楽しい)」とか、まあ色々あるわけです。

そういう色々ある中のひとつに「初心忘れるべからず」というのもあります。

自分の場合は一度集中するとずーっといじってあーだこーだと試すんですが、なんらかの結論が出て事が終わると、丸ごと全部頭からすぽーんと追い出してしまうクセがあります。
そのおかげで、次の新しいものを試すに足る容量が脳に生まれるわけですが、はたから見ると単に「1回やったことを全部すっかり忘れちゃう」というただのおバカちゃんだったり。暗記が嫌いなのもあって、自分にとって脳みそは「考えるため」のものであって、「覚えるため」のものではなく、外部記憶に頼りまくりなのです。

だからですね、「初心」的なものも常時考え続けているものは別として、一度結論が出たものはすぽーんと忘れちゃうので、ブログに書き留めてたり(一時は『お仕事のカンヅメ』って連載で書き留めてた)するわけですね。カテゴリ的には『つらつらと思うこと』にだいたい全部ぶちこんでたと思う。

正直それすら忘れてたので、今日ひさしぶりにそのカテゴリを読み返してました。主にこのへん。
ドキンちゃんの歌はすばらしい
ブラックバスはつよいよな
タイタニックに思う自分自身の10年間
なんか縛られちゃってたんだよね
10年前の自分におくる言葉
最近『仮面ライダー電王』がなんだか身に染みる

「あー、そーだそーだ」と思いながら読み返せたので、とりあえず基本スタンスはぶれてないなーと安心はしたものの…。
あれ?確かに変わってはいないけど、本当に変わってないなオレと。

上に挙げた中で一番古いのなんか2007年、つまりは6年近く前で、自分がまだ30代前半だった頃なわけですよ。
その頃の自分の書いたものなんだから、もうちょっと「ふっガキめ」と思える程度には変わってないとまずいんじゃないのちょっとオレ、とか思ったりした。

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仮面ライダー電王は、子どもたちがはまってたせいで良く見てました。途中から大人の方がはまっちゃったくらいに面白かった。よくできた話だなぁと今でもお気に入りのライダーです。

で、その根っこのテーマとして、「歴史(時間だったかもしんない)は人の記憶が作るもの」というのがあります。
だから、裏返すと「誰も知らない時間というのは、無かったことと同じになる(つまり消えてしまう)」とも言える。
ふーん、そんな設定なんだーって思って見てたんですけど、最近これが妙に染みるんですよね。

唐突なんですけど、ウチのカミさんが癌になっちゃったんですよ。
決して早期とはいえない腫瘍だったものの、幸い抗ガン剤が効果テキメンで、命に別状はないなよかったよかったと、そんな感じで闘病生活をしています。

でも「死」というのはどこかで意識するわけです。
はじめに意識した時は、カミさんがいなくなる未来でした。うわイヤだなぁって。
次に意識したのは、たわいもない昔話をしてた時。ウチは学生時代からの付き合いなので、なんだかんだとそろそろ人生の半分くらいをいっしょに過ごしてきてるのです。だから、昔話するとだいたいの話が通じることになる。それを当たり前と思って過ごしてきたけれど、それはカミさんがいるからこその当たり前なんですよね。

え、じゃあ、彼女がもしいなくなったら、オレは誰とこの話すればいいの?

学生の時はひとり暮らしだったし、サラリーマン辞めた後は家にこもってることがほとんどで1日に話す相手がカミさんだけ…って期間も長かった。
ようするに、彼女がいなくなるということは、その期間の自分を知る人もいなくなってしまうということで…。

そう思った時に「ああそういえば電王の話、あれはこういうことなのかも知れない」と、自分の過去がばっさり消えてなくなる錯覚に陥ったわけです。
サラリーマン続けてたら周りにずっと人がいるの当たり前だから、こんなこと思わなかったんだろうなと思う一方、あ、専業主婦の人が家庭を顧みない旦那さんのせいで「私の存在はなに?」ってズドーンと落ちちゃうのはこういうことか…とも思ったり。

『誰も知らない時間というのは、無かったことと同じになる』

自分を知ってくれてる人というのは大事にしなきゃいけないんだなぁとか、いっしょにいてくれる相手のことは、そこにいる責任としてちゃんと自分の方も知っておくようにしなきゃいけないんだなぁとか。
そんなことを、今さらながら考えたりする今日この頃です。

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昨日は所用で東京に出たのですが、その夜、高校時代からの友人と久しぶりに酒を飲み交わしました。学生時代からの友人で、「自分が本音であからさまに話せる人間」というのは片手に満たない程度しかいないんですけど、そのうちの1人です。
彼は経営コンサルタントをやっていて、会って飲むのは5年ぶりくらい。
夕方6時から飲み始めて、12時過ぎの終バスの時間になってもまだ話し足りないくらい、色んなことを話しました。

そんな中で印象的だったのは、仕事の話や悩み事を率直に話す友人に対して、「お前その話よそでしたら、『それ自慢か』とか『イヤ味やのー』とか言われるやろ?」と聞いたらコクリとうなずくその姿でした。続けて言うわけです。「だからよそではしない」と。

一般的にいえば成功した立場であり、めぐまれた給与をもらっている彼。
そうなるためには苦労してきた過去があり、その結果今があるわけなんですが、それをさらりと無視して「あー、はいはい、お前は仕事できるからええのー」と切って捨てる。「仕事ができる」から今があるんじゃなくて、「仕事ができるようにがんばった」から今があるんです。
でも、そこは見ない。
挙げ句に、「おっさん稼いでんねんからおごったれや」と平気で、当然の権利かのように口にする。

その時の、「そんなかっこわるいこと口にせんとってくれや…」という絶望感ときたら…。

自分は決して彼のようなスタープレーヤーではないですが、なんだかんだとおかげさまで8年ほどフリーランスとして生き延びることができて、一応「会社に依らずいきていける」程度には足下が固まってます。
「自由気ままで楽しい立場」に見えるようです。
それがために、前述の彼の話は、そのまま自分の身に起きた話でもあるのです。

昔であれば、「そうじゃないやろ」と頑張ることの必要性を説いていたかもしれません。
でも、最近は「それを含めて、言うことをやめた」と彼。これも同感でした。

今年で39歳になる私たち。来年には40歳です。
「心がけ次第で、いつでも1からはじめられる」と簡単に言える年ではなくなりました。本人がいくらそう思っても、社会のフトコロはそこまで深くありません。できなくはないですが、相当な努力が必要です。そしてそこまでの努力は、自分もしたことがありません。

自分がやった経験のないものを「できる」と簡単に言えるほどエゴイストではないですし、そもそもそれができる人間であればもっと早くにそうしている。
そう考えると、「そうじゃない」と熱弁をふるうことに、なんの意味もないんですよね…。

そんなことを考えながら夜道を歩いていると、「やはり自分たちの世代というのは、もう人生の前半戦を終えちゃったんだろうな」と思えてなんだか少しさみしくなりました。

まあ、そうはいっても、これから後半戦がはじまるだけの話なんですけどね。

冒頭で述べた「あからさまに話せる人間」の1人に、給料が安くて「先行き不安でしょうがないよ」とヒーヒー言いながら働いてる友人がいます。
そいつは、今の私の姿を見ると、我が事のように喜んでくれるんです。
「お前あんだけがんばってたんだから、そうなって当然やって。安定できてよかったなー、本当にうれしいよ」と。
自分はそんな彼のことを尊敬しています。

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普段の作業は電子メールで全部済んじゃうのであまり意識しないのですが、刊行間際になると「ゲラ」といって試し刷りを編集さんとの間でやり取りしながら朱入れを行うようになり、どうしてもメールでは完結しなくなってきます。自分は朱入れもPDFベースで行うため、このフェーズに入ってもほとんどメールで済むっちゃ済むんですが、それでも済まないものがちらほらと出てくるものなのです。

しかも、この時期には「とにかく急ぎで」ってことが多く、「のんびり明日の集荷をお願いすればいいさー」なんてしてられない。何が罪って、いっしょに仕事をしている人の作業を止めてしまうことほど罪なことはありません。

というわけで、「近場に宅急便の営業所があるとこんなにも便利なのか!」というのを、ここ1カ月ほどの間、すごく実感してます。だって夜21時に終わらせたものをひょいと持ち込んで、明日の午前中には出版社に着いたりするんですよ?タイムラグまるでなし。あまりにすごすぎて、毎回持ち込む度に「便利だなぁ」と帰りの車の中でつぶやいてます。

「ああ、在宅ワーカーにとっては、これって最重要チェックポイントってくらいに大事なことだったんだなぁ」…とかも思ったりしてですね。まるでそんなこと意識せずに家買っちゃったので、この環境というのはほんとラッキーという他ありません。

ただし、おっきな郵便局の方は結構遠くて、しかも近所のポストはどこも1日1回しか回収に来ないので、そっちの方はちょっと不便。
でもまぁ、回収さえしてもらえれば翌日には東京に届いてくれるんですから、贅沢言っちゃいけないですが。

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先日書いた4コマにお寄せいただいたコメントで、「Word、Excelとかの使い方わかりやすく書いた本の予定ないー?」というものがありました。
「初心者な人ほど本を買うお金を出してくれないの法則」があったりするので、なかなか市場的に厳しいよなーというのが過去に結論出てたりするんですが、それで終わっちゃもったいないので、なんとなくつらつらと考えてみる。
高齢者向けに書いたパソコンのイロハ的な本で売れたものが皆無なわけではないので、考える余地はあるはずなんですよね。

まずなにが大事かっていうと、受け身な人でも読んでもらえる作りじゃないといけません。それがなによりの大前提。

自分の中で解説書を「読んでもらう」ための方策としては、本の中の人はバカであるべしという決まりがあります。読者さんと同じ目線より、ちょっとバカなくらいの方が、読んでて安心できるし質問の代弁者たりえるし感情移入しやすいと思うからです。
たとえマンガや可愛いキャラクタなんかを前面に押し出した本であっても、「なんか知らんが本の中の人が勝手に理解してうなずいて次に進んでっちゃう」ような作りだとまるで意味がないと思ってます。むしろ「ああ、私はこんなゆるふわキャラよりもバカなのか」…って絶望を与えるだけになりかねない。

じゃあ、ちょうど今扱ってるキノコとドングリのキャラをそこに適用して…と考えてちょっと待った。
より感情移入してもらうためには、わざわざ架空の世界のキャラを出しても混乱を招くだけだよなぁと。んではここはずばりターゲットに据える年齢層の方をよりユーモラスにしたキャラを持ってきてはいいんではないか。
たとえば『ちびまる子ちゃん』の友蔵じーさんであるとか、『あたしんち』のママさんであるとか。あのあたり的なキャラ。

でも、勉強しなきゃいけない。理解しなきゃいけないと思わせたらまだ魚は逃げちゃいます。

そこで、徹底的に4コマを並べる。4コマでとにかく徹底的に「私でもそれはないわ」という失敗を繰り広げてもらう。マウスならマウスに関する失敗。ファイルならファイルに関する失敗。ちょっとレベルは散らしておいて、中には「あ、この失敗はやった」ってのも混ぜ込んでおく。
それを散々繰り返させて、「私でもそれはないっていうのはわかるけど、正しい使い方ってのはじゃあどんななのかねぇ」と疑問を抱かせたところでズビバシッと見開き解説。
でも、作中のじーちゃんたちは相変わらず?マークのまんまでボケて終了。みたいなの。

「一操作一解説で、ソフトのバージョン変わったら覚え直し」という勉強は嫌いなので、これでとにかく操作の意味を知ってもらって、基礎を学ぶための本。
あ、じーちゃんたちのキャラを何種類も作って、とにかく絶望感漂うパソコン教室にしちゃうのもいいな。先生胃薬が絶えなくて大変ねーとか言っちゃってんの。じーちゃんたちの失敗を責めると殺伐としちゃうから、責められるのは先生の側にして「ほんとアンタの説明はいつもわけわからん」って泣かされることにしよう。

うんうん。

と書き連ねていったら「ちょっとおもしろそう」とか思ってきたんだけど、そもそも今抱えてる本の仕事が向こう2年間は消化できなさそうな気配で暗雲たれ込めまくってる現状に気づいてちょっと涙がにじんてみたり。

そういや「ブ、ブラック企業じゃないよ、この話はフィクションだよ!」って繰り返すのがお約束な4コマ漫画連載ってのも「ちょっと保留」で寝かせたまんまだったなぁ。

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Twitterでブチブチつぶやいてたらふと思ったことがあったんで書いてみる。

イラストの通りなんですが、フリーランスしてますと言うと「自己管理できてエライ」的なことを良く言われます。自分は誰かが見張っててくれないと怠けて仕事できないので、自宅でそうならずに仕事できるアナタはエライとかそんな感じ。フリーランスいいなーって思うけど、そう考えたらできないのよねなんて感じ。

逆に言うと、自分には「サラリーマンであるがためにやらなきゃいけない自己管理」ができないというか壊滅的にやりたくない人なので、それを常日頃やっているアナタ方の方がよほど偉いですよと思います。

「ルールとして決まってるからそうなんだよ」という声に無条件に従わなくてはならなかったり。
「なんでこの人がしたり顔でオレの将来語ってんだろ」と思う声を飲み込まなくちゃなんなかったり。
「体調管理や自己管理のためにまず許可を得る」ことを当然としなきゃいけなかったり。

あと家族と会社との板挟みになったりとかね。
家族の急変に対してまず取るべき行動が「上司からの許可をもらうこと」になっちゃうあたりも、もうなんつーかダメなところ。当然とは思うんだけど、「調整」ではなく「許可」であるあたりが、自然とは思えない自分がある。
なんだろう、自分のことを自分で決められないのがすごくイヤ。

だから、そのあたりの「サラリーマンであるための自己管理」をこなしてる人の方がよほど「偉い」と毎度思っちゃうのです。

これは皮肉とか言い換えとかでなくて、実際のとこ、そのあたりを難なくこなしてるサラリーマンの方を見ると「大人だなー」と思いますもんね。冠婚葬祭関係でも経験値が違ってくるので、よけいに「大人だなー、かっちょいい」なんて思ったりもします。

と書いてると、つまり自分は子どもでいたいからサラリーマンができないわけか?
そういやサラリーマン時代はくどいほど「大人になれよ」と言われたことを思い出した。ああ、なんか妙に納得した。

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先日「どうしよっかなー」と悩んでた仕事の話。けっきょく受けることに決めたんですが、それと前後して色々生じるもろもろの、タイミングの良さにちょっと驚いてるというか、感心しています。

もともと強運頼みでここまで食いつないできてる身なので、「運の流れ」というのはけっこう信じる方です。「波が来てる」とか、「流れが来てる」とか、そういう時はなるべく身を任せて逆らわないようにして、その逆に「よろしくないな」という感触が支配してる時は、とにかく短気を起こさず焦る気持ちを抑えつつ踏みとどまることに専念するのが信条です。

ある程度は流れに身をゆだねつつ、その奔流の中を少しずつ自分の行きたい方へ舵取りすることで前に進むのが一番というんですかね。流れ任せということもなく、流れ無視ということもなく、とそんな感じ。

で、ここんとこの様子を見てると、どう考えても「その仕事に専念しなさい」的な流れになっちゃってるのです。もろもろの仕事にそれぞれの事情があって、それをベストと思う形で対策うっていくと自然とそうなるというか。

その結果が吉なのかどうかは定かではありませんが、「ああ、こっちに行けと言ってんだな」という流れに身をゆだねること自体はおもしろくて好きだったりします。
今回の川は、どこに流れつくのかなあ。

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