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つらつらと思うこと

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「巨峰じゃなくて巨峯かなー」ぐらいの気持ちで調べはじめたんですけど、完全に「巨峰:高い山の頂」って意味自体が出てこなくなってて驚きました。
二大巨峰という言葉自体はまだあちこちで使われてるっぽいんですけどね。

なんで消えちゃったんだろう、巨峰。

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ブログを書く理由というと、「絵や文章の練習(なのでまんがの仕事やる直前は一時的に4コマが増えたりする)」とか「1回やった設定や工作の仕方をメモしておく(配線図残すの超重要)」とか「子どもの成長記録(意外と見返したら楽しい)」とか、まあ色々あるわけです。

そういう色々ある中のひとつに「初心忘れるべからず」というのもあります。

自分の場合は一度集中するとずーっといじってあーだこーだと試すんですが、なんらかの結論が出て事が終わると、丸ごと全部頭からすぽーんと追い出してしまうクセがあります。
そのおかげで、次の新しいものを試すに足る容量が脳に生まれるわけですが、はたから見ると単に「1回やったことを全部すっかり忘れちゃう」というただのおバカちゃんだったり。暗記が嫌いなのもあって、自分にとって脳みそは「考えるため」のものであって、「覚えるため」のものではなく、外部記憶に頼りまくりなのです。

だからですね、「初心」的なものも常時考え続けているものは別として、一度結論が出たものはすぽーんと忘れちゃうので、ブログに書き留めてたり(一時は『お仕事のカンヅメ』って連載で書き留めてた)するわけですね。カテゴリ的には『つらつらと思うこと』にだいたい全部ぶちこんでたと思う。

正直それすら忘れてたので、今日ひさしぶりにそのカテゴリを読み返してました。主にこのへん。
ドキンちゃんの歌はすばらしい
ブラックバスはつよいよな
タイタニックに思う自分自身の10年間
なんか縛られちゃってたんだよね
10年前の自分におくる言葉
最近『仮面ライダー電王』がなんだか身に染みる

「あー、そーだそーだ」と思いながら読み返せたので、とりあえず基本スタンスはぶれてないなーと安心はしたものの…。
あれ?確かに変わってはいないけど、本当に変わってないなオレと。

上に挙げた中で一番古いのなんか2007年、つまりは6年近く前で、自分がまだ30代前半だった頃なわけですよ。
その頃の自分の書いたものなんだから、もうちょっと「ふっガキめ」と思える程度には変わってないとまずいんじゃないのちょっとオレ、とか思ったりした。

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仮面ライダー電王は、子どもたちがはまってたせいで良く見てました。途中から大人の方がはまっちゃったくらいに面白かった。よくできた話だなぁと今でもお気に入りのライダーです。

で、その根っこのテーマとして、「歴史(時間だったかもしんない)は人の記憶が作るもの」というのがあります。
だから、裏返すと「誰も知らない時間というのは、無かったことと同じになる(つまり消えてしまう)」とも言える。
ふーん、そんな設定なんだーって思って見てたんですけど、最近これが妙に染みるんですよね。

唐突なんですけど、ウチのカミさんが癌になっちゃったんですよ。
決して早期とはいえない腫瘍だったものの、幸い抗ガン剤が効果テキメンで、命に別状はないなよかったよかったと、そんな感じで闘病生活をしています。

でも「死」というのはどこかで意識するわけです。
はじめに意識した時は、カミさんがいなくなる未来でした。うわイヤだなぁって。
次に意識したのは、たわいもない昔話をしてた時。ウチは学生時代からの付き合いなので、なんだかんだとそろそろ人生の半分くらいをいっしょに過ごしてきてるのです。だから、昔話するとだいたいの話が通じることになる。それを当たり前と思って過ごしてきたけれど、それはカミさんがいるからこその当たり前なんですよね。

え、じゃあ、彼女がもしいなくなったら、オレは誰とこの話すればいいの?

学生の時はひとり暮らしだったし、サラリーマン辞めた後は家にこもってることがほとんどで1日に話す相手がカミさんだけ…って期間も長かった。
ようするに、彼女がいなくなるということは、その期間の自分を知る人もいなくなってしまうということで…。

そう思った時に「ああそういえば電王の話、あれはこういうことなのかも知れない」と、自分の過去がばっさり消えてなくなる錯覚に陥ったわけです。
サラリーマン続けてたら周りにずっと人がいるの当たり前だから、こんなこと思わなかったんだろうなと思う一方、あ、専業主婦の人が家庭を顧みない旦那さんのせいで「私の存在はなに?」ってズドーンと落ちちゃうのはこういうことか…とも思ったり。

『誰も知らない時間というのは、無かったことと同じになる』

自分を知ってくれてる人というのは大事にしなきゃいけないんだなぁとか、いっしょにいてくれる相手のことは、そこにいる責任としてちゃんと自分の方も知っておくようにしなきゃいけないんだなぁとか。
そんなことを、今さらながら考えたりする今日この頃です。

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昨日は所用で東京に出たのですが、その夜、高校時代からの友人と久しぶりに酒を飲み交わしました。学生時代からの友人で、「自分が本音であからさまに話せる人間」というのは片手に満たない程度しかいないんですけど、そのうちの1人です。
彼は経営コンサルタントをやっていて、会って飲むのは5年ぶりくらい。
夕方6時から飲み始めて、12時過ぎの終バスの時間になってもまだ話し足りないくらい、色んなことを話しました。

そんな中で印象的だったのは、仕事の話や悩み事を率直に話す友人に対して、「お前その話よそでしたら、『それ自慢か』とか『イヤ味やのー』とか言われるやろ?」と聞いたらコクリとうなずくその姿でした。続けて言うわけです。「だからよそではしない」と。

一般的にいえば成功した立場であり、めぐまれた給与をもらっている彼。
そうなるためには苦労してきた過去があり、その結果今があるわけなんですが、それをさらりと無視して「あー、はいはい、お前は仕事できるからええのー」と切って捨てる。「仕事ができる」から今があるんじゃなくて、「仕事ができるようにがんばった」から今があるんです。
でも、そこは見ない。
挙げ句に、「おっさん稼いでんねんからおごったれや」と平気で、当然の権利かのように口にする。

その時の、「そんなかっこわるいこと口にせんとってくれや…」という絶望感ときたら…。

自分は決して彼のようなスタープレーヤーではないですが、なんだかんだとおかげさまで8年ほどフリーランスとして生き延びることができて、一応「会社に依らずいきていける」程度には足下が固まってます。
「自由気ままで楽しい立場」に見えるようです。
それがために、前述の彼の話は、そのまま自分の身に起きた話でもあるのです。

昔であれば、「そうじゃないやろ」と頑張ることの必要性を説いていたかもしれません。
でも、最近は「それを含めて、言うことをやめた」と彼。これも同感でした。

今年で39歳になる私たち。来年には40歳です。
「心がけ次第で、いつでも1からはじめられる」と簡単に言える年ではなくなりました。本人がいくらそう思っても、社会のフトコロはそこまで深くありません。できなくはないですが、相当な努力が必要です。そしてそこまでの努力は、自分もしたことがありません。

自分がやった経験のないものを「できる」と簡単に言えるほどエゴイストではないですし、そもそもそれができる人間であればもっと早くにそうしている。
そう考えると、「そうじゃない」と熱弁をふるうことに、なんの意味もないんですよね…。

そんなことを考えながら夜道を歩いていると、「やはり自分たちの世代というのは、もう人生の前半戦を終えちゃったんだろうな」と思えてなんだか少しさみしくなりました。

まあ、そうはいっても、これから後半戦がはじまるだけの話なんですけどね。

冒頭で述べた「あからさまに話せる人間」の1人に、給料が安くて「先行き不安でしょうがないよ」とヒーヒー言いながら働いてる友人がいます。
そいつは、今の私の姿を見ると、我が事のように喜んでくれるんです。
「お前あんだけがんばってたんだから、そうなって当然やって。安定できてよかったなー、本当にうれしいよ」と。
自分はそんな彼のことを尊敬しています。

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普段の作業は電子メールで全部済んじゃうのであまり意識しないのですが、刊行間際になると「ゲラ」といって試し刷りを編集さんとの間でやり取りしながら朱入れを行うようになり、どうしてもメールでは完結しなくなってきます。自分は朱入れもPDFベースで行うため、このフェーズに入ってもほとんどメールで済むっちゃ済むんですが、それでも済まないものがちらほらと出てくるものなのです。

しかも、この時期には「とにかく急ぎで」ってことが多く、「のんびり明日の集荷をお願いすればいいさー」なんてしてられない。何が罪って、いっしょに仕事をしている人の作業を止めてしまうことほど罪なことはありません。

というわけで、「近場に宅急便の営業所があるとこんなにも便利なのか!」というのを、ここ1カ月ほどの間、すごく実感してます。だって夜21時に終わらせたものをひょいと持ち込んで、明日の午前中には出版社に着いたりするんですよ?タイムラグまるでなし。あまりにすごすぎて、毎回持ち込む度に「便利だなぁ」と帰りの車の中でつぶやいてます。

「ああ、在宅ワーカーにとっては、これって最重要チェックポイントってくらいに大事なことだったんだなぁ」…とかも思ったりしてですね。まるでそんなこと意識せずに家買っちゃったので、この環境というのはほんとラッキーという他ありません。

ただし、おっきな郵便局の方は結構遠くて、しかも近所のポストはどこも1日1回しか回収に来ないので、そっちの方はちょっと不便。
でもまぁ、回収さえしてもらえれば翌日には東京に届いてくれるんですから、贅沢言っちゃいけないですが。

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先日書いた4コマにお寄せいただいたコメントで、「Word、Excelとかの使い方わかりやすく書いた本の予定ないー?」というものがありました。
「初心者な人ほど本を買うお金を出してくれないの法則」があったりするので、なかなか市場的に厳しいよなーというのが過去に結論出てたりするんですが、それで終わっちゃもったいないので、なんとなくつらつらと考えてみる。
高齢者向けに書いたパソコンのイロハ的な本で売れたものが皆無なわけではないので、考える余地はあるはずなんですよね。

まずなにが大事かっていうと、受け身な人でも読んでもらえる作りじゃないといけません。それがなによりの大前提。

自分の中で解説書を「読んでもらう」ための方策としては、本の中の人はバカであるべしという決まりがあります。読者さんと同じ目線より、ちょっとバカなくらいの方が、読んでて安心できるし質問の代弁者たりえるし感情移入しやすいと思うからです。
たとえマンガや可愛いキャラクタなんかを前面に押し出した本であっても、「なんか知らんが本の中の人が勝手に理解してうなずいて次に進んでっちゃう」ような作りだとまるで意味がないと思ってます。むしろ「ああ、私はこんなゆるふわキャラよりもバカなのか」…って絶望を与えるだけになりかねない。

じゃあ、ちょうど今扱ってるキノコとドングリのキャラをそこに適用して…と考えてちょっと待った。
より感情移入してもらうためには、わざわざ架空の世界のキャラを出しても混乱を招くだけだよなぁと。んではここはずばりターゲットに据える年齢層の方をよりユーモラスにしたキャラを持ってきてはいいんではないか。
たとえば『ちびまる子ちゃん』の友蔵じーさんであるとか、『あたしんち』のママさんであるとか。あのあたり的なキャラ。

でも、勉強しなきゃいけない。理解しなきゃいけないと思わせたらまだ魚は逃げちゃいます。

そこで、徹底的に4コマを並べる。4コマでとにかく徹底的に「私でもそれはないわ」という失敗を繰り広げてもらう。マウスならマウスに関する失敗。ファイルならファイルに関する失敗。ちょっとレベルは散らしておいて、中には「あ、この失敗はやった」ってのも混ぜ込んでおく。
それを散々繰り返させて、「私でもそれはないっていうのはわかるけど、正しい使い方ってのはじゃあどんななのかねぇ」と疑問を抱かせたところでズビバシッと見開き解説。
でも、作中のじーちゃんたちは相変わらず?マークのまんまでボケて終了。みたいなの。

「一操作一解説で、ソフトのバージョン変わったら覚え直し」という勉強は嫌いなので、これでとにかく操作の意味を知ってもらって、基礎を学ぶための本。
あ、じーちゃんたちのキャラを何種類も作って、とにかく絶望感漂うパソコン教室にしちゃうのもいいな。先生胃薬が絶えなくて大変ねーとか言っちゃってんの。じーちゃんたちの失敗を責めると殺伐としちゃうから、責められるのは先生の側にして「ほんとアンタの説明はいつもわけわからん」って泣かされることにしよう。

うんうん。

と書き連ねていったら「ちょっとおもしろそう」とか思ってきたんだけど、そもそも今抱えてる本の仕事が向こう2年間は消化できなさそうな気配で暗雲たれ込めまくってる現状に気づいてちょっと涙がにじんてみたり。

そういや「ブ、ブラック企業じゃないよ、この話はフィクションだよ!」って繰り返すのがお約束な4コマ漫画連載ってのも「ちょっと保留」で寝かせたまんまだったなぁ。

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Twitterでブチブチつぶやいてたらふと思ったことがあったんで書いてみる。

イラストの通りなんですが、フリーランスしてますと言うと「自己管理できてエライ」的なことを良く言われます。自分は誰かが見張っててくれないと怠けて仕事できないので、自宅でそうならずに仕事できるアナタはエライとかそんな感じ。フリーランスいいなーって思うけど、そう考えたらできないのよねなんて感じ。

逆に言うと、自分には「サラリーマンであるがためにやらなきゃいけない自己管理」ができないというか壊滅的にやりたくない人なので、それを常日頃やっているアナタ方の方がよほど偉いですよと思います。

「ルールとして決まってるからそうなんだよ」という声に無条件に従わなくてはならなかったり。
「なんでこの人がしたり顔でオレの将来語ってんだろ」と思う声を飲み込まなくちゃなんなかったり。
「体調管理や自己管理のためにまず許可を得る」ことを当然としなきゃいけなかったり。

あと家族と会社との板挟みになったりとかね。
家族の急変に対してまず取るべき行動が「上司からの許可をもらうこと」になっちゃうあたりも、もうなんつーかダメなところ。当然とは思うんだけど、「調整」ではなく「許可」であるあたりが、自然とは思えない自分がある。
なんだろう、自分のことを自分で決められないのがすごくイヤ。

だから、そのあたりの「サラリーマンであるための自己管理」をこなしてる人の方がよほど「偉い」と毎度思っちゃうのです。

これは皮肉とか言い換えとかでなくて、実際のとこ、そのあたりを難なくこなしてるサラリーマンの方を見ると「大人だなー」と思いますもんね。冠婚葬祭関係でも経験値が違ってくるので、よけいに「大人だなー、かっちょいい」なんて思ったりもします。

と書いてると、つまり自分は子どもでいたいからサラリーマンができないわけか?
そういやサラリーマン時代はくどいほど「大人になれよ」と言われたことを思い出した。ああ、なんか妙に納得した。

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先日「どうしよっかなー」と悩んでた仕事の話。けっきょく受けることに決めたんですが、それと前後して色々生じるもろもろの、タイミングの良さにちょっと驚いてるというか、感心しています。

もともと強運頼みでここまで食いつないできてる身なので、「運の流れ」というのはけっこう信じる方です。「波が来てる」とか、「流れが来てる」とか、そういう時はなるべく身を任せて逆らわないようにして、その逆に「よろしくないな」という感触が支配してる時は、とにかく短気を起こさず焦る気持ちを抑えつつ踏みとどまることに専念するのが信条です。

ある程度は流れに身をゆだねつつ、その奔流の中を少しずつ自分の行きたい方へ舵取りすることで前に進むのが一番というんですかね。流れ任せということもなく、流れ無視ということもなく、とそんな感じ。

で、ここんとこの様子を見てると、どう考えても「その仕事に専念しなさい」的な流れになっちゃってるのです。もろもろの仕事にそれぞれの事情があって、それをベストと思う形で対策うっていくと自然とそうなるというか。

その結果が吉なのかどうかは定かではありませんが、「ああ、こっちに行けと言ってんだな」という流れに身をゆだねること自体はおもしろくて好きだったりします。
今回の川は、どこに流れつくのかなあ。

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今月に入ってから、すっかり更新が滞っちゃってて申し訳ありません。前回の更新後、今日までの間には、通常の仕事に加えてダンボール2箱分のネットワーク用語集本にサインしたりしてました。
こちら、どうも関西の書店さんに置いてもらえるようなのです。詳しい書店名等わかりましたら、また告知させていただきますので、よろしくお願いしますなのです。

と、それはさておき。

昨日のこと、懇意にしていただいてる会社の方にさそわれて、東京近辺でちょろっとお酒を飲んでまいりました。
その席上で、少々まとまった規模の仕事が依頼できないかという話になりまして。スケジュール的にやれるかどうかもあるし、能力的にやれるかどうかもあるしで、これがなかなか悩ましい話でして。

ああ、どうしようと今日になっても悩んでたりします。

最近は、すっかり「新しい取引先探し」も止めにして、既知の、懇意にしていただいてる会社さん相手にもっと義理を果たしていかねばと思うようになっています。自分は仕事のペースが遅いので、それを回すだけでもヒーヒー状態のはずなので。

さらには、そうした会社さんたちのおかげで今食えるようになっているので、その分を返していかねばという思いもあったりします。自分の力なんて知れたもんなわけですが、望んでもらえるなら応えねばと。お世話になってる会社さんに対しては、自分の方でも「支える意識」を持たねばなーと思うようになっているのです。

んが、今回の話はあまりに荷が勝ちすぎているような。

聞けば、社内の規則とかやり方とか前例とか慣例とか、そんなもん全部すっとばしてかなり会社として力を入れ込んでくださる話のようでした。
今のこのご時世で「ここが力の入れどころ」と自分に白羽の矢を立ててもらえたことはすんごくありがたいんですが、正直「やれるかなー」とビビル気持ちの方がでかかったり。ならサクっと「ごめんなさい」すればいい話なんだけど、先に述べた気持ちがあるのでそれもなかなか難しかったり。

うーん。ううーん。悩ましい。

別件の仕事のプロットを練るべく、明日から千葉県内でソロキャンプして、1人じっくり考えるつもりだったんですが…。
どうもこっちの仕事の瞑想にふける方向となりそうです。

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先週末から今週にかけてなんだかやたらめったら作業が集中して、気がつけば「徹夜しないとどうにもならん」状態になり、しかもそれが2日続いて、ほぼ燃え尽きて朽ち果ててます。
30半ばを過ぎてこんなことしてると、体力の回復がマジメに追いつかないのでマジで自省したい。仕事を減らす度胸を持とう、えいえいおー。

と、そんなくたびれた身体でですね、久々に余裕のあるスケジュールになってる今を謳歌しようと、近所に新しくできたラーメン屋さんに昼飯を食べにいったんです。どんな味かなーって。
着いてみると、真新しい建物と真新しい設備。ほんと、どれもこれも新品ピカピカで、「この城でもってワタクシ今後一生懸命がんばっていくのであります」というのがにじみ出ていました。

店主のおすすめらしきラーメンを注文して、カウンターに座り、目の前のメニューをなんとなしに眺めてみて。
ふと目に入ったのが営業時間。

開店が11:00で閉店が24:00。定休日は毎週月曜日の17:00以降とあります。
顔をあげると、カウンターの向こう側でいそいそと働いてるのは、店主らしき男性と、その母親らしき女性の2人だけ。
…仕込みと片付けを考えたら、この人たちはいったい何時休むんだろう。

と同時に、「そうだよなぁ」とも思いました。

個人事業主にとって、仕事はすなわち人生の保証であり、あまりに深く人生そのものと同化しちゃってるので、いつからいつまでと簡単に切り離せるもんではないし、やらされるものではなくやるものだから、労基法がどうだこうだとかとまったく無縁の世界にいるんですよね。実にシンプル。自分が必要と思うか思わないかでやるやらないが決まるだけ。

自分の2日連続徹夜にしてもそうだし、この人たちの営業時間にしてもそうなんだろうなーと思うと、妙に仲間意識が芽生えたりなんかして。
なんとなく人間くさい営みな気がして、やっぱ「個人事業主はいいなー」などと思ったのでした。

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